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国家狂乱篇 7

もうひとつ、1926年(大正十五年)の長者番付を選んだ理由がある。

この長者番付が作成される九年前の一九一七年(大正六年)3月10日に、日本工業倶楽部が結成された。「持丸長者」第一話の幕末・維新篇で述べたように、日本の長者は両替商と呉服商と酒造業を筆頭に、卓抜した才能と知恵を持つ個人商店と、巧みな職人技術を柱として、衣・食・住文化の貴重な遺産を今日に伝え残しながら、「商業」によってリードしてきた。日本の富豪は、豪商であった。わが国資本主義の元祖である渋沢栄一が、益田孝、大倉喜八郎、渋沢喜作、福地源一郎らを集めて、維新からほどなく一八七八年(明治十一年)三月十二日に設立下わが国最初の商工会議所も、誕生した当初の名称は東京商法会議所であった。
 ところが大正期に誕生した経営者の工業倶楽部は、名称の通り、近代機械を駆使する組織的な「工業」を産業の柱に謳ったわが国最初の組織である。商業から工業への、大きな時代の変化がここにあった。この日本工業倶楽部の幹部が、戦後の日本経済を先導する経団連の生みの親となったのである。五年後の一九二三年に彼らが柱となって日本経済連盟会(日経連)を設立し、日本工業倶楽部初代理事長の団琢磨が、日経連会長を兼務し、戦後に日経連が改組されて、経団連となったからである。そして東京商法会議所が東京商工会議所と改称されたのは、恐慌翌年の一九二八年(昭和三年)すなわちこの長者番付が作成された二年後である。


「持丸長者国家狂乱篇」P22-23

(昭和2年)1927年1月東京で流感の「世界風邪」大流行、患者37万人、10日間で死者600人、マスク・呼吸器がうれたそうです。なにやら現在と似ていなくも無い気がする・・・









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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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