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国家狂乱篇42

 血盟団事件の後5.15事件、そして2.26事件がおこる。これはみなさん嫌でも暗記させられた部分であろうと思う。さて彼らは2.26のクーデター事件が成功していたらどういった展開を考えていたのか。この時点で大元帥は裕仁昭和天皇である。彼は4人兄弟であった。あとの3人は皆陸軍士官学校を出ている。つまり陸軍の青年将校らとは同期もしくは非常に近い存在にあった。このあたりから見えてくるものがあろうかと思う。想像を巡らせていただきたい。ちなみに事件のとき第一方面隊は秩父宮師団長であり、昭和天皇にすぐ戻る旨のお伺いをしたところその場にて待機せよとの命令を受け上京は出来なかったそうである。





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団琢磨が殺され、テロにおののいた三井・住友・三菱・安田は、社会に対して何か手を打たなければ危ない事に気づいた。明治時代には、軍閥を生み出す維新の志士と手を組んで資金係となった彼ら財閥だが、不思議な事に、その系譜は商人と実業家の長者ばかりで、軍人がほとんどいなかった。三井家の系図には、古い維新政府の海軍大将をつとめた薩摩の川村純義の孫娘が三井生雄と結婚しているだけで、大正以降の大日本帝国の軍人は一人もいなかった。岩崎家、住友家、安田家にも軍人が一人も見当たらず、古川家が結婚した西郷一族も日清・日露戦争までの軍部主導者である。この時代には、西郷家がみな実業家になっていた。つまり財閥側は、軍隊を育てても、自分たちが金儲けにうつつを抜かしていたあいだ、血気にはやる青年将校たちに首輪をつけていなかったことに気づいたのである。

-中略-


ドル買い事件で矢面に立たされ、さんざんにたたかれた三井は、殺された大番頭の団琢磨が、ただ優秀な技術者という人物ではなかった。私生活において「入ったものはすべて自分の懐に入れる人間」と評されていたのである。団のあとを継いだ池田成彬は、すぐさま改革に着手した。しかし、財団法人・三井恩賞会が設置され、ここを通じて社会事業に巨額の寄付をおこなうように態度を豹変、手遅れにも、武藤山治が息を引き取ってから17日後であった。アメリカでロックフェラーが独占を批判されたとき、突然に全米一の慈善家となって社会を沈黙させた効果に学ぼうとした池田である。三井元之助、三井源右衛門、三井守之助、たち三井家の一族がいっせいに第一線の要職から退き、三井財閥が保有する株式を公開して、社会の公僕たる三井を売り込んだ。しかし世間はそれほど甘くなかった。三井報恩会がぽんと三〇〇〇万円を寄付したとは、それだけの搾取をしていたわけだ、と誰もがますます財閥に対する疑念を深めた。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\持丸長者国家狂乱篇」P333-334



 
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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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