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国家狂乱篇40

1931年のドル買い事件、この事件は満州事変と平行していた。



○1929.10.24 アメリカウォール街でダウ暴落
○1930.1.11 浜口内閣の蔵相井上準之助が金解禁。金本位制復帰。
○1930.11.14 浜口首相東京駅で狙撃され重傷
○1931.4.14 若槻礼次郎内閣発足
○1931.9.18 柳条湖爆破事件、いわゆる満州事変起こる
○1931.9.20 イギリスが金本位制停止
 この前後から財閥によって金輸出の再禁止を見越して財閥による大量のドル買いが起こる
○1931.12.11若槻礼次郎内閣総辞職
○1931.12.13犬養毅内閣発足、即日蔵相高橋是清金本位停止、ドル高が急速に進む。
○1931.12.14円暴落


浜口•井上・犬養・高橋の四人は殺人テロで暗殺されることになる。このひとたちは
どういう人物であったか。

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   連続テロの標的とされたのは、どのような人物だったのか。人を圧倒する風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた浜口雄幸は、一九三〇年にロンドン海軍軍縮条約を持ち込み、軍部と右翼、軍需産業から怒りを買ったのだから、この軍国思想一辺倒の時代に、数少ない正常な政治家であった。
 だが一方では、横浜正金銀行頭取•水町袈裟六と子供同士が結婚し合っていた。しかもその子供たちの義兄弟は、最後の満鉄総裁をつとめる山崎元幹、その岳父は児玉源太郎と共に満州経営委員会で、朝鮮総督府の度支部長官(のちの財務長官)として植民地財務を支配した荒井賢太郎であった。さらに浜口首相の息子は、妻が日本石油社長•水田政吉を通じて、越後の巨頭•大橋新太郎(系図4)の近親者で、団琢磨とも縁戚にあたり、申し分ない利権一族だった。

  浜口首相が右腕として信頼した蔵相•井上準之助は、大分県日田で造り酒屋を営む庄屋の家柄に生まれ、長州藩一族で日本鉄道会社社長•毛利重輔男爵の娘•毛利チヨを妻にしていた。長州の金融牙城である山口県第百十国立銀行を設立して頭取に君臨した毛利治近信や、福沢諭吉、甲州財閥•若尾逸平一族を閨閥にかかえて、朝鮮の植民地化を主導した鶴原定吉らの長者ファミリーに入ったのだ。
  井上は、浜口首相の一族•水町袈裟六頭取の後を継いで横浜正金銀行頭取に就任すると、中国の鉄鉱•石炭利権を満鉄と八幡製鉄所に送りこむ功をあげ、さらに三井の団琢磨、池田成彬、藤山雷太、日本工業倶楽部の大橋新太郎、三菱の串田万蔵らと共に日本経済連盟(前後の経団連の前進)を結成するなど、財界から大きな信任を得ていた。井上が金解禁を実施したとき共に行動」した日銀総裁•土方久徴は、妻が三井の大番頭•三野村利左衛門の孫娘であった。この浜口•井上が暗殺され、続いて団琢磨が暗殺されたのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「持丸長者国家狂乱篇」P327-328

 次回は別の文献より、暗殺者の思想背景と石原莞爾、宮沢賢治の関係について迫ってみたい。





  
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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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