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国家狂乱篇37

  昭和二年(一九二七年)若槻内閣大蔵大臣の片岡直温が三月十四日、に突然、「東京渡辺銀行は破綻した」と発言したため、預金者が銀行に殺到して取り付け騒ぎとなり、渡辺銀行とその姉妹銀行あかぢ貯蓄銀行が翌十五日に臨時休業に追い込まれた。
  実は、渡辺銀行はまだ破綻せず、何とか決済にこぎつけていたのだが、この歴史上有名な失言によって、本当の破綻に追い込まれてしまったのである。渡辺銀行をはじめ当時の個人金融は商人の常識である信用貸しによって資本を融資していたから担保などなく、一旦信用収縮が起きれば即倒産である。渡辺銀行、タバコ王村井一族の村井銀行、中井銀行、神田銀行をはじめとして連鎖的に銀行が破綻していった。多くの書はこれらを小さな銀行としており影響が軽微であったかのような印象を受けるかもしれない。が、当時の資産で渡辺一族、村井一族合わせて一億円を超えていたのであるから満鉄の総資産の1割と考えれば相当な金額である。現在の日本最大企業のひとつであるトヨタ自動車の資産の一割と仮に考えれば相当なものである。
  だが、台湾銀行をメインバンクとする日本屈指の商社「鈴木商店」の借入額と比べれば確かに一億円といえども少なく思える。鈴木商店が資金不足に陥ると事態はさらに深刻となる。「鈴木商店」は単なる個人商店ではないことはご存知の方は知っているであろうが一応説明しておく。伝説の事業家 金子直吉によって第一次世界大戦時に大きく賭けに出て成功し、一時スエズ運河を通過する船で日本一と呼ばれた時期もあるほど貿易量を誇った知る人ぞ知る世界的大商社である。しかし歴史教科書からはその名は抹殺されている。
  鈴木商店の決済不能により、ここに非財閥系世界的大商社は姿を消し台湾銀行も休業に追い込まれる。

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  この恐慌は、財閥が待ち望んでいたものであった。鈴木商店をつぶし、中小の勢力を傘下におさめる恰好の機会だったからである。三井財閥の大改革を機に常務取締役に抜擢されて依頼、三井銀行の経営トップとして資金を動かしていた池田成彬(せいひん、とも読む)が、この恐慌を目にして、台湾銀行から短期貸借のコールマネーを全額引き上げたので、台湾銀行は鈴木商店救済どころではなく、自分の経営が危機に陥った。時の台湾銀行頭取は、森広蔵で、鈴木商店が隆盛のピーク時代に神戸商工会議所特別議員をつとめていた人物だから、神戸最大の商人・金子直吉とは昵懇の間柄だった。そうした関係から、関東大震災の欲念には、台湾銀行から鈴木商店に対する融資額が三億円を超え、台湾銀行の全貸出額の半分近くに達していた。しかし森広蔵といえども、鈴木商店を切り捨てなければならない立場になり、三月二十六日に台湾銀行から新規貸出の停止を通告された鈴木商店は、それから十日後に借金に追いつめられたまま最後の坂を転げ落ち、そのため、続いて台湾銀行が窮地に陥り、休業に追い込まれたのである。

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 「持丸長者国家狂乱篇」P311



  
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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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