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国家狂乱篇36

 関東大震災、この大地震は日本国経済にとって打撃になった。そのために、地震によって手形などの債務履行に支障が出ると判断した政府・日銀は井上準之助蔵相のもと返済期限の近い手形を「震災手形」と認定し支払猶予期間をもうけた。しかし日々銀行に持ち込まれる手形は増加していき、銀行は不良債権を大量に抱える事態となった。

  そこで、日銀はこの手形の肩代わりをし今で言う不良債権処理を進めようとしたのであるが、あらかじめ決済見込みのない手形などもこれ幸いに火事場泥棒で大量にもちこまれ、決済見込みの無い手形残高が積みあがってしまった。やがて支払猶予は再三にわたり期限延長されていき、その最終期限が震災四年後の昭和二年九月末日とされた。

  すでに大正帝は震災時には御静養、皇太子裕仁摂政が執務に当たっていた。大正帝は世俗においては様々な話が流布されているが、私はその内容についてあまり当てにならないと思っている。
というのはこの時期においては、維新から五十年がすぎ、日本が世界の一等国であると教えられた維新前の世界を知らない貪欲な若者達が権力闘争に励み始めており、宮中某重大事件での山県の失脚等を考えた上においても様々な可能性が排除できないからである。

話をもどそう。

 「引用開始」

  昭和二年(一九二七年)1月、若槻内閣は政府補償によって震災手形の整理をすすめることとし、そのための損失補償法案を議会に提出したが、野党は銀行の不良債権の実態を明らかにせよと改めて、手形の整理が進まなかった。そうして震災手形問題を審議中の三月十四日に、大蔵大臣の片岡直温が突然、「東京渡辺銀行は破綻した」と発言したため、預金者が銀行に殺到して取り付け騒ぎとなり、渡辺銀行とその姉妹銀行あかぢ貯蓄銀行が翌十五日に臨時休業に追い込まれた。実は、渡辺銀行はまだ破綻せず、何とか決済にこぎつけていたのだが、この歴史上有名な失言によって、本当の破綻に追い込まれてしまったのである。これが失言恐慌・昭和二年恐慌とよばれる大恐慌の始まりであった。

「持丸長者国家狂乱篇」P306



 



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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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