スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実2

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\


ブッシュ大統領は就任間も無い2001年5月、国家エネルギー政策(NEP=national energy policy)を出している。通称「チェイニーレポート」と呼ばれる。副大統領のチェイニーが中心になってまとめられたからである。NEPでは水素、燃料電池など個々の技術についても触れているが、その最後の第八章に、アメリカの力を背景とする世界石油戦略の記述がある。それを日本国内では、アメリカは水素エネルギーを取り上げているなどと、我田引水的読み方をする人が多いが、これは間違っている。
P2

資源をめぐる歴史をたどると、古代から民族あるいは国家は資源をめぐって争ってきた。半世紀前の太平洋戦争も、原因をたどれば、資源の争いが深く関係していたことが分かる。特に直接の戦争突入の一因に、アメリカの石油封鎖があったことは周知の事実である。
 その日本が今、アメリカに守ってもらえばよい、日米安保はそのためにあるなどと言うのだが、日本のためにアメリカは自国の若者の血を流すことはないし、アメリカ社会もそのようなことを容認することなどあり得ない。世界には、お金では解決できないことが沢山あるということを再認識すべきである。
P4

なぜそれほどまでに世界は石油に執着するのかである。石油が他の資源とは較べ物にならないほどすぐれた資源だからである。そしてその有限性が見えてきたからである。石油は正に文明を支える「生き血」であり、特に「常温で流体」であることは、他のエネルギー源にない大きな特徴がある。つまり現代文明の象徴である車にとって、内燃機関用燃料としてオイルは欠かせない。エネルギー密度も際立って高く、EPRは油田の初期は60以上であり、合成科学の原材料としても現代文明を支えている。
P11

 つまり現代工業文明の維持に石油は欠かせない、際立って多目的な資源である。これは石油なしの世界を想像すれば、暢気な日本人でもただちに理解できよう。
P12

19世紀は木から石炭へ転換した世紀であった。この転換は人類にとって大変に重要な意味をもつことになる。再生的資源から非再生的である化石燃料へと、人類がはじめて転換したからである。
 しかし、この石炭へのプロセスもスムーズに進んだわけではなかった。社会は新しいものを、簡単に受け入れるとは限らない。文明の慣性は大きいのである。
P14

まず森林から石炭だが、石炭とは何億年も前の光合成の蓄積、いわば光エネルギーの缶詰である。億年単位で地質年代の太陽エネルギーが集積された化石である。したがってその量は膨大である。このためほんの小さな炭鉱でも、相当の森林から得られる薪炭を大きく上回った。これが18世紀までの人類の慢性的な、木材、燃料不足を解消した。人類は石炭によって、初めてエネルギー不足という、くびきから開放されたのである。
P16

そして21世紀初頭、現代の社会で経済、社会は膨張の極に達し、人口もすでに65億となったが、人口もエネルギー消費もまだ増え続けている。この指数関数的増大志向は永久にはつづきはしない。しかしさすがに石油は成長がとまりだした。だが人間の数はまだ増えている。過去1世紀はバブルであった。これにいつ、どのような形で減速がかかるのか、今は未だ分からない。だが石油ピーク後の減退は、年率で二,三%といわれる。その時が来るのは何十年後ではない。その時世界は、
そして日本はどうなるのだろうか。
 日本は資源において脆弱な国であり国際力学にも弱い。外交も本当に下手である。仲間がいないし、また作ろうとしないからである。孤独な日本、国際的に徒党を組むずるさも、したたかさも無い日本だが、唯一の救いは高い技術力である。省エネルギー技術もぬきんでている。一人当たりのGDPでみると、日本はアメリカよりはるかに省エネルギーが進んでいる。
 だが日本の弱点はこの技術にある。逆説的だが技術をつかう総合的な戦略と理念に欠けるのである。ここで分かりやすい例を挙げる。ノコギリ、カンナは道具である。それを作る技術と、それらを使って家を作る大工の技術とはまったく違う。日本はこの大工の技術が一流でないのである。しかし、ノコギリとカンナを作る技術、部分の技術は世界最高である。そこで錯覚を起こすのである。日本の技術力を生かしてとなるが、それはあくまでも部分の技術でしかない。総合化できなければ使い物には
ならない。総合的な視点が最も重要となる。それがなければエネルギー、環境問題に対処できない。
 部分と全体は違う。「部分の正義」を集めても「全体の正義」とはならない。二一世紀はあるいは明日の社会は文明の一大改革を要求している。それは戦略的技術、戦略的な思考、理念で対応するしかない。リサイクル、クールビズなどは瑣末なことでしかない。このような部分をイクラ集めてもおおきなモノとはならない。
p21-22

「石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実/石井吉徳/日刊工業新聞社」
 
 
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

なかなか核心までたどり着けませんが、石油という常温で流体の物体を、自動車の動力源として使っている。そして、それはつい100年前のことであったが、その時から石油の生産量はどんどん伸びていき、それに伴って経済も拡大を続けてきた。しかし石油生産がピークとなり需要に供給が追いつかなくなるとマネーサプライの増加だけで経済の拡大はつづかなくなりいずれ大恐慌となるであろうということである。

そしてそれは今現在現実のものとなって来ている。

 内燃機関用エネルギーにガソリンが最適であり、安価で大量に提供されることが前提である。だがそれ以外にも例えばボディを作るのに、一旦1,500℃位で鉄を溶解し、流体化したものを型に流し、それを冷却している。1,500℃まで持っていくのに、物凄い熱量が必要であり、さらにその熱量を放出して冷却する。他にもエンジン、パーツなどすべて同じで、温度はアルミや銅のほうが低いが同じである。

  鋳造といいますが、要は重油やガス、で時間当たり何十万キロカロリーという炎であぶっている、あるいはコークスと一緒にし熱風で燃やすということを世界中でやっている。
  鉄鋼の高炉などになればはこの何百倍もの規模である。新日鉄の君津製作所では日量1万トンの生産を誇る(今となれば誇れない?)

 石井さんはそのことについて熱力学の第二法則(エントロピーの法則)に基づいて考え直すべきであると言っています。






スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

cbu66810

Author:cbu66810
昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。