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国家狂乱篇 4

 まず第一に、この七一八人は、一人として欠かすことが出来ない名簿である。表の中で資産が100万円と最も低く、たいした人物ではないと見落としてしまう人物でさえ、日銀による企業物価指数を基準にすると、現在時価で六億円近い資産家である。時価換算には、さまざまな比較基準があって、米価をものさしにすればこれが十二億となる。このように基準の選び方によって一桁も変わるが、最近では米価の意味がうすれたので、本書では以下、昔の金額を現在時価で示す場合、この「企業物価指数を基準に2000年と比較した数字」で記すことにする。

 この最下位100万円の人物を拾ってみると、東京府の和田豊治、兵庫県の武藤山治、耕世助太郎、松方幸次郎、鳥取県の坂口平兵衛など、錚々たる「小さな長者」の名前が目を惹く。和田豊治と武藤山治は、それぞれ富士瓦斯紡績(のちの富士紡績)社長と鐘淵紡績社長をつとめ、「紡績業界の二大巨頭」とよばれた財界人のトップである。

 耕世助太郎は日本生命社長であり、父の助三郎が滋賀県彦根出身の近江商人で、第百三十三国立銀行(現・滋賀銀行)の頭取を務め、後年に日本一の生命保険会社となる日本生命を創立し、最大の豪商・鴻池善右衛門をかつぎだして社長にすえた人物である。

 明治の元老・松方正義の息子として生まれた松方幸次郎は、川崎造船所の初代社長として、民間での国産蒸気機関車の製造を成功に導き、数多の大企業重役をつとめた。同時に、国立西洋美術館に所蔵されているロダンの彫刻「考える人」をはじめ、上野の東京国立美術館の所蔵されている一万点近い浮世絵の松方コレクションで知られる。

 坂口平兵衛は、養蚕製糸業から米子銀行を設立し、鉄鋼業・酒・砂糖・醤油・綿にまで事業をひろげて、山陰電気を創立し、その婿養子の坂口二郎は日本レイヨン社長をつとめたあと、大日本紡績の後身であるニチボーと合併してユニチカ初代社長となった。同名の息子・平兵衛もまた山陰石油社長となって、一族は、山陰にあって珍しい財閥として君臨してきた。

 これほどの大物たちが、いずれも番付の末席にいるのだ。

「持丸長者国家狂乱篇」P19-20


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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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