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国家狂乱篇34

 1923年9月1日マグニチュード7.9、死者行方不明者14万2807人の関東大震災がおこる。こなと昭和二年恐慌→財閥の肥大化→1931年のドル買い事件(昭和六年)・満州事変と続く。
 さてここで初代満鉄総裁・後藤新平~特高警察を主導する警視庁官房主事正力松太郎のラインが登場するが、正力といえば読売巨人軍のオーナー位しか頭に無かった私には、この人物の過去を見て驚いた。読売新聞・・・・嘗ては強引な勧誘で有名、私も学生時代チンピラまがいの拡張員に脅された経験があることからいい印象は無かったが。
 
 思い切って書こうとおもう。後藤は正力に読売新聞買収のため大金を準備し、読売新聞を買収した正力はやがて当時唯一のメディアである新聞を支配、つまりは報道内容を支配し真実の隠蔽、言論統制へとリードする一翼を担っていたのではなかったのか。


「引用開始」

  この時の政府は、地震発生の八日前に、山県有朋一族の加藤友三郎首相が現職で死去したため、代って外務大臣内田康哉(やすや、ともよむ)が臨時首相をつとめていた。内田は満鉄総裁を務めたあと、外務大臣として、「挙国一致、国を焦土にしてもこの主張を徹すことにおいては一歩も譲らない」と焦土演説をして、日本が満州国を傀儡国家とし、満州国の承認を推進する人物である。熊本藩の蘭学者・内田玄真の息子だったが、持丸長者奈良県第一位の林業支配者・土倉庄三郎の女婿であり、また横浜正金銀行頭取として渋沢・安田・大倉・古河とならぶ「明治五人男」と称された長者の中の長者・原六郎の義弟にもあたっていた。

  大震災の翌日、内田康哉は臨時首相を退き、薩摩藩・山本権兵衛内閣が発足した。権兵衛の娘は、一人が”維新の三傑”西郷隆盛の甥と結婚して古河財閥に連なり、もう一人が総理大臣・松方正義の息子と結婚していた。松方正義は明治の財政を担って財閥を肥やし、自らも私服を肥やして全国第八位の持丸長者となり、東京で第十七位の大地主であった。この震災のなかで治安を担当する最も重要な内務大臣には後藤新平が就任した。九月一日の夜から、東京では「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「暴動を起こして放火している」といった流言蜚語を警察が広めたため、恐怖に憑かれた日本人の民衆が朝鮮人・中国人に襲いかかって虐殺し、その虐殺に軍隊・警察・憲兵が加担するなか、六〇〇〇人以上が殺されていった。

 これら暴挙を指揮したり黙認したのは内務省と、憲兵を管轄した陸軍であった。なかでも特高警察を主導する警視庁官房主事だった正力松太郎は、「朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、それをあちこちに触れまわってくれ」と流言を広めてまわった。

「持丸長者国家狂乱篇」P293-294
正力松太郎(昭和14年)
正力松太郎(昭和14年)
 


 
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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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