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国家狂乱篇31

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  1914年第一次世界大戦がはじまり、中国の利権は当然の権利ということから乗り遅れるなと、火事場泥棒よろしく、ドイツに対し山東半島南西の租借地の引渡しを要求する期限付き最後通牒を発し、ドイツが返答しないまま、八月二十三日、日本がドイツに宣戦布告していった。

  日本は大戦景気に沸き、大隈重信内閣の外務大臣・加藤高明(三菱の岩崎一族)が主導するなか、中国大統領の袁世凱に対し「対華二十一箇条要求」を突きつけた。内容はドイツが山東省に持っていた権益、関東州の租借権延長、満鉄の権益、鉄道敷設権、大治鉄山の鉄鉱石の確保などの厳しい姿勢で臨んだ。そんな最中の事である・・・・


「引用開始」
  島県会津藩士の息子・中野友礼が、日曹(日本曹達)コンツエルンの母体となる苛性ソーダ工場を横浜市保土ヶ谷区に建設したのが、この一九一五年であった。中野はのちに五大新興財閥として台頭する。一方、石川県金沢藩士の息子・野口遵が肥料の硫安の製造に乗り出して大きな利益を出し、五大新興財閥・日窒(日本窒素肥料)コンツエルンの基礎を築いたのも、この時であった。肥料として欠かせない石灰窒素や硫安の原料となるカーバイド(炭化カルシウム)を日本で最初に製造したのは兵庫県士族の息子である大発明家の藤山常一で、彼が熊本県葦北郡水俣村(水俣市)に工場を建設し、野口遵は三菱と組んでこの技術を奪い取り、それが後年のチッソになったのである。

 藤山常一は野口と喧嘩別れしてから三井の藤原銀次郎と組み、事業を転々と変えなければならなかった。またもう一人の「日本の十大発明家」棚橋寅五郎が日本科学工業を設立し、棚橋と共に大倉喜八郎、鈴木三郎助が組んで、肥料のリン酸、カリを製造し、この大戦中に莫大な富が懐に転がり込んだ。すぐれた頭脳の棚橋は新潟県の出身で、「金色夜叉」大橋新太郎たちと組んで日本醸造工業の経営にも参加しているが、前章の二二四頁・系図4「新潟県石油業者と大地主」にいる通り、日本石油社長・小倉房蔵の娘と結婚したのが、寅五郎の息子・幹一である。幹一は戦後の一九七八年に全国長者番付第11位という大富豪となっている。

「持丸長者国家狂乱篇282-283

このチッソは太平洋戦争終了後も鍵になる会社であるが、知らない人はいないであろう。
水俣病の原因を造った会社であり、さらに・・・・・。





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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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