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国家狂乱篇26

牧田環  牧田環

デゴイチ デゴイチ

ハチロク ハチロク

    こうして大正に入ると、大正二年に川崎造船所が貨物用の大型蒸気機関車として九六〇〇形(通称キューロク)を完成し、日本を代表するこの機関車が、国産で初めて量産に入った。翌年には、鉄道院が日本で初めて本格的量産用の旅客列車用の蒸気機関車八六二〇形(通称ハチロク)を完成し、貨車用と客車用が、ともに国産で大量生産に入った。鉄道院が生み出したハチロクの製造は民間会社に委託され、請け負ったのは、半数以上が汽車製造会社だった。昭和に入ってからの同社は、ジョン万次郎一族の長谷川正五が社長で、財界巨頭二代目の大倉喜七郎と渋沢正雄が取締役に就任していた。残りは、昭和三年に川崎造船所の車輌部門から独立した川崎車輌のほか、日本車輌製造、日立製作所、三菱造船所も請け負った。こうして昭和十一年には、貨物用の蒸気機関車D51が誕生した。最も有名なこのデゴイチは誰によって設計されたか。

    ハチロクの設計者は、和歌山県の薬問屋出身で、鉄道院で設計者となった島安次郎だったが、彼は満鉄の理事に迎えられ、一時は満鉄総裁代理をつとめたあと、民間に転じて汽車製造の社長に就任し、満鉄の花形「あじあ号」の設計に従事してますますその名を高めた。続くデゴイチの設計者が、その安次郎の息子・島秀雄であった。秀雄は父にもまして著名だが、戦後に新幹線生みの親となった世界的な鉄道技術者である。さて、島安次郎のもう一人の息子・島邦夫も鉄道局技師だったが、三井鉱山会長・牧田環の娘を妻に迎えた。三井の大番頭・団琢磨と共に日本工業倶楽部を創立した多額納税者の牧田こそ、三井財閥の千両箱である三池炭鉱の近代化を一手に引き受け、九州に大牟田コンビナートの基礎を築き上げ、三井鉱山の最盛期を生み出した功労者である。この石炭をくべて走るのが、蒸気機関車であった。団琢磨が、北海道炭鉱汽船の会長として北海道の石炭を支配し、牧田環が九州の炭鉱を支配していた。

   しかし、である。その牧田環が、団琢磨の娘婿であったのだ。ハチロクも「あじあ号」もデゴイチも、三井財閥と義兄弟の関係だったわけである。アメリカのマサチュセッツ工科大学(MIT)で鉱山学
を修得した団琢磨・・・・東京帝国大学採鉱冶金学科を卒業した牧田環・・・・みな、格別すぐれた能の持ち主であった(この一族の系図は次章の二二四頁に示す)。しかも満鉄初代総裁の後藤新平が鉄道院の初代総裁に就任し、ついでに拓殖局副総裁も兼務して満鉄をその監督下におさめていた。みな、満州に顔を向けていた。満州にはどのような宝物があったのか。
「持丸長者国家狂乱篇」P145-146

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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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