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国家狂乱篇25

     つまり日本の鉄道技術は、明治三十年代初めまでは、国内の人間と産業用の物資輸送を目的として、アメリカ・ヨーロッパの機関車に頼りながら、ある意味で健全な発展を遂げてきたのだが、明治二十八年に日清戦争に勝利してからは、植民地として獲得した台湾と、植民地化を目論む朝鮮に進出するという軍事目的が、鉄道機関車の技術を国産化に転身させる大きな政治的動機となった。その先、明治三十八年に日露戦争に勝利後は、満州南部の鉄道路線を獲得し、朝鮮を「保護国」として支配したため、朝鮮半島と大陸の鉄道経営というさらに巨大なプロジェクトが始動したのである。
「持丸長者国家狂乱篇」P140

アジア号満州本線を駆け抜けた特急アジア号
               当時には画期的な流線型ボディです。


  中国東北地方にある旅順をめぐり、日本はロシアと戦争をおこなったのが日露戦争であった。
この莫大な戦費の調達と投入、陸軍兵力の投入によって日本は相当程度疲弊した。その後の国力回復 への道は困難を極めるものであったことは戦争開始前から承知されていた。

  この戦争によって日本は東清鉄道以南のロシア権益を受け継ぐこととなった。東清鉄道はウラジオストックからハルピン(哈爾浜)を通り満州里からチタへ抜けシベリア鉄道につながる中国東北地方を横断する鉄道であった。日本は哈爾浜から長春、奉天、営口、大連、旅順へとぬける鉄道およびその付属地一切を手に入れた。そして遼東半島の先端を租借地とし関東州と呼んだ。

  南満州鉄道株式会社はこうしてロシアと清国が建設、運営していた鉄道を戦争により手にいれ誕生する。しかし、以外かもしれないが、この鉄道の割譲には経済的見地から、戦後の復興に莫大な財政負担を軽減したい当時の大蔵省などは反対していたという。鉄道経営に旨みが無く財政負担が増えるという意見が多かったのである。総理大臣である桂太郎もその線で動き、アメリカの鉄道王ハリマンに共同経営を持ちかけ契約まで済ませていた。むろん、この裏には日本とロシアに莫大な戦費を貸し付けた国際金融資本家と、長州閥と政商三井の駆け引きがあったと想像される。

   しかしここで日本の意見が割れ、対立が起こった。国防上の観点からロシアを牽制する為にも日本単独で南満州を支配したいという、犬猿のなかである外務省と陸軍が同じ思惑から思わぬ意見の一致となり、外務大臣である小村寿太郎が共同経営に反対し契約を反故にしたのであった。台湾総督府の児玉源太郎とその弟子後藤新平である。かれらは別の観点から見ていた。つまり満鉄を東インド会社にみたて鉄道を隠れ蓑にあらゆる産業を支配しようというものである。児玉源太郎は、旅順で執拗な正面攻撃をロシアの要塞に続け、兵力を無駄に消耗する無能の乃木大将に替わり実質203高地占領を成した将校である。

    当時は東清鉄道以北をロシア、以南を日本が管理するということで基本合意していたため、南満州に兎に角経済基盤を確立することが急務であった。そして日本と南満州に挟まれた朝鮮は当然ながらさらに日本国の支配対象になっていったのであった。日本→朝鮮→満州という順番で拡大していったように思われますが、南満州の鉄道支配権を得たことで朝鮮の重要性がさらに増したというところでしょうか。

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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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