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国家狂乱篇22

 北海道庁長官・永山武四郎は開拓使時代薩摩の堀基の部下であった。
その堀基と黒田清隆の腹心であった元官吏の北有社村田堤らが設立した
北海道鉱山会社に永山は幌内炭鉱と幌内鉄道を払い下げる。

  七年後の明治二十九年には、華族資産を母体に設立されたわが国最大の民間鉄道・日本鉄道会社に次いで、北海道探鉱鉄道が鉄道会社の総資産ランキングで第二位となった。広大な鉄道は、それほど大規模なものであった。しかし村田、永山、堀という薩摩人の名前は、長者番付に登場しないのである。黒田清隆一族も一人として長者番付にいない。なぜであろうか。

  それから三年後のの明治三十二年にこの鉄道株をひそかに買い占めている人間がいた。株式仲介人の丸上商店という聞きなれない名前のブローカーだった。相場師たちは狐につままれたように見ていたが、一ヶ月後に買いが終わった。それからほどなく、丸上商店の株が別の名義に書き換えられ、相場師たちが「やはり・・・」と膝を打った。三井銀行社長・三井高保の名義であった。中上川彦次郎らが雇った影武者は三井のブローカーだったのである。こうして巨大鉄道会社は三井の手に落ち、やがて経営権もすっかり支配されると、それから九年後の明治四十一年(1908年)長者番付で、三井高保は岩崎(弥之助、久弥)・住友・三井(八郎右衛門)・鴻池・渋沢・大倉に続いて全国第八位にランクされた。明治四十年に設立された大夕張炭鉱も五年後には三菱鉱業に買収され、三井・三菱の資本下に組み込まれていったのである。

  だが、世の中は甘くない。ほとんどの大手民間会社の前には、やがて鉄道国有法によって、鉄道線路が国に買い上げられる運命が待ち構えていた。北海道探鉱鉄道では、会社設立から十七年後の明治三十九年に鉄道が国有化され、北海道に敷きつめた幹線鉄道を国に奪われた。そこから同社は、再出発を余儀なくされ、生き延びる道を切り拓かなければならなかったので、石炭の海運業を活かして、北海道炭鉱汽船に社名を変更して生まれ変わったのである。そして翌年には、イギリスのアームストロング社と共同出資で室蘭市に日本製鋼所を設立し、北海道に鉄鋼産業を生み出す道へと踏み出した。
「持丸長者国家狂乱篇」P125-126






 兵站輸送の主力は鉄道であった時代であるから、
当時の情勢から国策上鉄道の国有化は当然であったとおもいますが、最初は民間鉄道が主力であったというのは以外かもしれない。
 日本が全体主義に傾いたのはまだまだ先のことであったが明治三十九年(1906年)一つの鉄道会社が誕生します。満鉄こと南満州鉄道株式会社であります。












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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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