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国家狂乱篇20

  十年計画とは、明治十四年に開拓使が役務を終えるということだから、その年に大事件が起こった。黒田はもっぱら開拓使役人の幹部に薩摩藩出身者を重用してきた。そこで、彼らの管轄下で育成した工場や鉱山を民間に安値で払い下げることを計画し、しかも払下げ相手に自分の身内の薩摩役人だけを選ぶというのだから、大泥棒である。要するに、イモ閥の開拓使官吏・安田貞則ら四人が、札幌・函館・根室・東京・大阪など、右に挙げた地所・倉庫・事務所・官舎、ビール・製糸・缶詰などの工場、牧場から汽船・帆船まで一切の開拓使官有物を払い下げるよう求める内願書を出した。開拓史に投じられた国庫の金は、十四年間で予算の二倍、2000万円を超え、払下げの対象となった官有物は、時価300万円を下ることはなく、最大見積もりでは800万円と見られたが、それをたった38万円で、彼らの北海社に払い下げてくれと願い出たのだ。

 内密に進められた謀略だったが、七月二十六日に「東京横浜毎日新聞」が「関西貿易商会の近状」と題する論説を三日間掲載して開拓使払下げの内実をスッパ抜き、政府に対する攻撃のノロシを挙げた。この新聞は、長崎の本木昌造の流れを組んだ日本最初の日刊紙「横浜毎日新聞」が東京に移って改題したもので、時の社長には会津戦争と庄内戦争でで敗れた幕臣、沼津兵学校出身の沼間守一が就任し、自由民権派の牙城として発刊していた。続いて自由民権派の「郵便報知新聞」が批判の波状攻撃を加えた。

 これらの報道によれば、開拓使の事業と船舶まですべてが関西貿易という商社の手に渡り、それもただ同然の価格であるという。いずれ北海社と合併されると見られた関西貿易は、鉱山王の五代友厚、藤田組生みの親中野梧一、大阪商船設立者の田中市兵衛がこの受け皿として設立した会社であった。五代友厚は大阪商法会議所の初代会頭だが、二代目が藤田組の藤田伝三郎、三代目が田中市兵衛、副会頭が藤田伝三郎と共に藤田組贋札事件で逮捕されたことのある中野梧一であった。全員がとてつもない資産家で、一味がグルになっていたのである。

 形勢危うしと見た黒田一派は、早いところ処理してしまおうと、開拓使の全ての官有物を代価30万円、無利息三十年割賦で、関西貿易に払い下げる旨の開拓使長官・黒田清隆の伺い書政府が許可して八月一日に発表したので、硬骨漢・成島柳北の「朝野新聞」が猛然と噛み付き、ついには、政府系に成り下がっていた福地源一郎が発刊する「東京日日新聞」まで口を開き、満都は政府攻撃一色に塗りつぶされた。無論、福沢諭吉一派も総決起し、当時まだ外務官僚だった中上川彦次郎、三菱財閥・岩崎弥太郎も、このような国有財産の私物化はとんでもないと激怒した。一方、函館現地では市民が倉庫を払い下げて欲しいと直訴したところ、開拓使が百名近い市民を逮捕拘引して、大弾圧を加える始末であった。八月二十五日に沼間守一、福地源一郎、益田克徳(三井物産社長・益田孝の弟)らが弁士となって東京・新富座で開拓使払下げ反対の演説会を開くと、午後四時の開演時には、怒れる群集数千人が殺到したのである。
  
 岩崎や益田孝たちの長者も、国有財産を私物化して巨大になったのだから、おかしな話である。しかしこの時の正義は、国民の誰が見ても、払下げ反対の側にあり、全国の長者たちもこぞって反対の声を上げた。
「持丸長者国家狂乱篇」P116-118











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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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