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国家狂乱篇19

 7月8日、東京に開拓使と命名された政府組織が設置され、新時代の北海道開拓使が始まったのである。それまで新政府のなすことは思慮のない武力による権力支配しか眼中に無く、住民生活と全く別方向を向いていたが、八月一五日、蝦夷を北海道と改称する太政官布告が出され、アイヌを理解する有能な開拓判官・松浦武四郎と言う人材を得て、本来の経営に着手した。北海道と命名したのがこの人物である伊勢国(三重県松坂市)にでた松浦市は、本草学に造詣深く、一時は平戸で僧となった人物で、早くも維新の二十四年前(1884年)から蝦夷地の探検をおこなって、幕府内でも指折りの北方調査官であった。だが、彼は新政府の開拓方針が誤ってるとして翌年には辞職してしまった。
「持丸長者国家狂乱篇」P84

  北海道の新しい海運業界と、統治者である開拓使の関係を見ると、この先の理解には、系図を描くのがよろしい。次項の系図Ⅰに描いた北海道の有力者閨閥は、行政の支配者ばかりでなく、北海道産業の功労者を迫ったものだが、代表的な人物がこれほどの近親者として一つの系図にまとまることに驚きを禁じえない。開拓使時代の長官・黒田清隆と北海道初代長官・岩村通俊の存在はよく記憶されているが、他の政治家と財閥は、明治時代の政変で互いに敵対したもので、このようなかたちで北海道に関与していたことに、意外な印象を受ける。

 薩摩の黒田清隆ばかりでなく、薩摩の西郷隆盛の弟・西郷従道が短期間ながら最後の開拓使長官をつとめ、薩摩の大久保利通、松方正義の政府御大が系図に入れ子のように登場し、薩摩が産んだ最大の実業家・五代友厚も縁戚関係にある。さすがにイモ閥とよばれただけのことはある。五代友厚は大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)の初代会頭に就任して関西財界の頂点にまでのしあがりながら、これから述べる「明治十四年の政変」の引き金となった開拓使払下げ事件で黒田清隆と組んで、日本中からごうごうたる非難を浴び、人生の最後に粗末な黒い汚点を残した。

 土佐も負けてはいない。大久保利通の孫婿が、土佐藩士・竹内綱の息子として生まれた総理大臣・吉田茂で、その実兄が竹内明太郎である。明太郎は、小松製作所を創立し、大実業家として北海道で夕張炭鉱重役をつとめた。明太郎・茂兄弟の父・竹内綱の従兄弟が、土佐出身の北海道初代長官・岩村通俊であり、北海道の国有財産払下げで資本家を育てた男として登場する。土佐から出て三菱財閥を創始した岩崎家が大夕張炭鉱の支配者となったなら、その三菱財閥育ての親と呼ばれ、飛ぶ鳥を落とす勢いと書き立てられた日銀総裁・川田小一郎の息子・龍吉は、棒二森屋の渡辺熊四郎が設立した函館船渠の専務取締役となって不況時代に造船ドッグを再建し、その弟・豊吉が社長になった。
「持丸長者国家狂乱篇」P109-112
 


   話は薩摩閥の政府財産払下げ事件へと続きますが、近代日本史は資料が多数残存していることから教科書等では内容が多岐に渡ってしまうため単に記憶術に止まり思考停止になってしまいます。よって歴史が好きといっても、近代史より戦国武将や幕末の志士等ドラマで描かれるようなものを好んでしまうのでしよう。そういえば最近「歴女」という歴史好きの女性が増えているとか・・・・。
 




 
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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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