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国家狂乱篇16

 呉服商・両替商だった三井家を、幕末から財閥に育て上げた初代の大番頭・三野村利左エ門は、三井の資金をもって国立第一銀行と王子製紙を設立させ、1876年(明治9年)7月1日の三井銀行と三井物産の開業、という大業まで導いてからほどなく、翌年二月二十一日、深川の邸宅で息を引き取った。そのあと数十年は三井家に大番頭が不在で1891年(明治二十四年)に三井銀行で取付け騒ぎが起こり、長州藩の井上馨に抜擢された中上川彦次郎が三井改革の任を持って送り込まれ、大番頭の座に就いた。
 
 ~中略~
 つまりは、三井組と呼ばれた時代からの手代を追い出して、朝吹英二、藤山雷太、池田成彬、武藤山治、藤原銀次郎、柳荘太郎たちが抜擢されて、三井家の再興を成功に導いた。朝吹は王子製紙会長、藤山は大日本精糖社長、池田は鐘淵紡績社長、藤原は王子製紙社長、柳は第一火災海上保険社長となり、息子が三井銀行社長となって、いずれもその才を発揮した。ただ、財界の走狗が書いたどの本にも、彼らの婚姻関係の全体像について、さしたる説明が無い。

 説明を加えるべきであろう。朝吹英二と藤山雷太は中上川彦次郎の義弟である。池田成彬は中上川の娘婿である。武藤山治と中上川の子供同士は結婚している。藤原銀次郎は自分の養女を中上川の娘婿の義兄弟と妻わせた。柳荘太郎の孫はその一族に入って、藤原銀次郎の養子となった。いずれも金満家になったことは言うまでもない。福沢の親族がそっくり三井財閥の要職について、完全に乗っ取ったのである。「持丸長者国家狂乱篇」P65-66



  私の祖父は2人共嫡男ではなかったため、家を出て一方は鉄道省、一方は農業指導で南京に駐在したということである。既にこの世を去った二人であるが、彼らが生きた(生き抜いた)昭和という時代の真実の姿をみたいという欲求に動かされているのかもしれないと最近ふと考える。

 東条内閣閣僚のひとり藤原銀次郎・・・そこから福沢諭吉の甥である中上川彦次郎の閨閥が鮮やかに浮かび上がる。歴史の教科書だけでは到底知りえないが、平成の現在に生きる我々が現在の国内情勢をある程度誰でも知っているが如く当時は当たり前だったのかもしれない。政経は硬貨の裏表、それは現在も当時も同じであり表面だけを見ていればそれは一枚の硬貨ではない。








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昭和に入って三井が三菱を合併したのですか、それとも三菱が三井を合併したのですか、よかったら教えてください。
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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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