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国家狂乱篇14

  明治政府は紙幣発行の必要性から印刷局(当初は紙幣寮)を設立、ここで貨幣の洗浄に使う硫酸、ソーダの製造が展開されていた。


  このような科学技術の指導的立場にあった印刷局製薬課につとめて、化学薬品の製造法を修得したのが市川卯一郎という人物で、彼は1898年(明治29年)に王子村印刷局の政府施設の払い下げを受けて、その名も「関東酸曹」と言う会社を設立し、硫酸とソーダの製造を開始した。明治末期の1911年には製造業の第五位にランクされた大企業であり、これがのちに大変な人材を生み出した。その長男の石川一郎が父の後を継いで、戦時中に産業統制によって発足した日産コンツェルンの中核会社・日産化学工業社長に就任し、ここには高嶺譲吉博士の東京人造肥料と、日本舎密製造を吸収した大日本人造肥料が合流し、石川は真珠湾攻撃の翌年には化学工業統制会会長(のちに化学工業連盟会長)に就任した。先の章に述べたように、戦前の日本の化学工業界のリーダーとなり、戦後の経済団体連合会(経団連)初代会長に就任した石川一郎である。
「持丸長者国家狂乱篇]P63-64













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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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