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石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実~最終章

  ハバートは石炭、石油資源問題を研究する過程で、資源・エネルギーと貨幣経済のあいだにある本質的な矛盾を独特の思考から鋭く突いている。経済学者の忌避する資源有限論にたって、無限と言うべきマネーシステムとの違いが文明の本質問題であると見抜いたのである。

  ハバートは世界変化の過程には、3つのタイプあると指摘している。その3つとは、当初は皆が指数関数的に増大する、そして①いつまでも成長するもの貨幣、マネーの世界②あるときから頭打ちになるが、そのまま推移する再生的な水力資源など③ある時期にはピークをうち、その後減退する石油などの非再生資源、などに分けて考えるべきとした。

---中略---

1930年代の世界経済恐慌時までは、エネルギー資源の生産量も貨幣も平行して膨張していた。だがその傾向が、1910年から大きく変化していたのである。これは新しい発見であった。
 石油と石炭のエネルギー使用量を銑鉄の生産量と片側対数グラフが、1910年で鋭角に折れていた。経済学者もこれに気づいていなかったようで、ハバートはこれを1929年の経済崩壊の予兆と考えた。つまり当時のエネルギー消費動態に恐慌の予兆がすでにあらわれていたと主張している。
P192-194

さらに彼は指摘する。19世紀のほとんど、そして1929年に至るまでの、工業成長率7%は、平均的な貨幣の利率7%に等しかったとハバートは述べている。これは大切な指摘ではなかろうか。つまり、実の世界の銑鉄生産が、虚の世界ともいえる貨幣経済の利子に等しかった。それが1910年に物理的経済成長は2%に落ちたが、虚の世界である貨幣では、利率7%に維持されていた。つまり5%のギャップが生じたのである。これは5%の物価インフレーションとなって現れたと述べる。その後、種々の変動はあるものの、貨幣の利率は1910年からほとんど恒常的に物理的成長を上回った。

P196-197
「石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実/石井吉徳/日刊工業新聞社」

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世界恐慌時の状況に重ねてみれば、当時鉄の生産に使用するエネルギー使用量がピークを打ったあともマネーサプライが増え続け、結果として調整が起こったといえる。

 こんかいオイルピークの後により世界の工業製品の生産量がピークをうったあとどうなるのか参考にはなるであろう。むろん当時の産業の状況と現時では違うが、実体経済に比して資本的経済はその何倍にも膨れ上がりマネーゲームへと発展した。この資本膨張が収縮へと向かったときどうなるのか。ドルはどこへ行き、株はどこへ行くのか、そしてエマージングマーケットはどうなるのか、債券市場は、先物市場はどうなるのかということを考えていかざるをえない。
  今真に膨張した資本が収縮へとむかって、世界的恐慌状態にある。いや未だこれは入り口にしかすぎず、本格的な危機は今後半年以内に起こるであろうと予想する人もいる。
  いすれにせよ、今が底ですとの楽観論など金集めの手段であるとはっきりしている。

 私はエネルギー問題のことは、残念ながらそれ程詳しく理解していない。風力だ、水力だ、いや原子力だ、いや循環型の社会だ、とかいろんな声を聞くが、もう政治が絡んでくる以上は出来る行為は限られる。既存の政治を超えたところにある新しい時代、新しいエネルギー概念を起こさなければどうにもならない。その意味では「水素エコノミーウェブ」という考え方は一つのモデルとして理論的には良く出来ていると感じるので、ご興味のある方はご一読されては如何でしょうか。

    石井さんの著書を引用しながら、ピークオイルのことを書いてきました。
 
    まとめてみます。

   ハバード博士は1970年に、それまで世界一の産油国であったアメリカが生産のピークをむかえるといったが誰も相手にしなかった。しかし、実際には1970年にピークをうちオイルショックとなった。
  その減産を中東のサウジが増産で肩代わりし、いつの間にかサウジアラビアには無尽蔵の石油があると楽観的になった。これにはサウジが正確なデータを出さないことにも原因があるが、サウジに採掘権を返還する前のサアラムコ社の技術者によれば、既に当時油田ではかなり深刻な問題が起きていたとのことである。
   石油の自噴を促すため大量の海水を注入する方法が採られ、さらに無理な増産によって油井が疲労し採掘可能な量がダメージを受けたということらしい。
   ハバード博士によれば、このサウジの油田(ガワールという広大な油田が全体の65%くらいを占めている)のピークが2005年といいうことである。現在2009年だが多少のずれはあるだろうし、サウジ側もデータを公表しないので明らかになるのは数年先であるが、石油の需要は拡大を続けているので、いづれこのギャップにより深刻な経済問題、産業問題が起こると予測される。

   他国に比べ、中東に9割近くの石油を依存している日本に深刻さは見られないので、かつての太平洋戦争のように国民に甚大な被害を政府が与えるだろうというのが石井さんの言いたいことではないかと考えます。

   アラムコ時代に乱獲されたサウジのガワール油田をサウジアラビアが国営とし、サウジアラムコになって何とか手入れをしながら最新技術で採掘しているが、政治的に利用されることが多く増産の限界にあり、また世界もサウジの油田は無尽蔵にあると錯覚している。
   
    実際はガワール油田も半分の自噴で簡単に採掘できる部分はほぼ枯渇してきており、横堀やタールサンドから採取しなければならない。それは2005~2007年の間にピークが着ており、サウジ政府は正確な資料を出さない(油田は常に増え続け埋蔵量は2050年まで確保されている)ので、事実が分かるのは2,3年さきになるだろう。

   かなりの深刻な事態となることがこのままではよそうされます。  終わり




    
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石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実5

  石油ピークとは石油生産量が頭打ちになることである。際限のない需要の延びに生産がおいつかないということ。当たり前だが、地下の資源は発見されてから生産される。その世界での石油発見のピークは1946年ごろであった。今人類は、40年も前に発見された資産を食い潰している。これからの世代に現代人はなにも残そうとしないのである。

  市場至上主義は現代人、つまり今のマーケットに参加できる人のみの都合のよい論理であり、これは未来に大きな禍根を残す。すでに今の若者は地球の収奪は大人の責任と糾弾することすらある。

  エコノミストは、技術万能主義と結んで地球資源は有限ではないと繰りかえし発言してきた。事実、資本主義も社会主義も地球が有限である、自然に限りがあることを、その学問、理論体系に組みいれることはなかった。

  1929年の世界恐慌はケインズ経済学の公共投資の作られた需要で回復した。この理論が、1990年代の日本の不況対策の論理的な根拠とされたのだろうが、もう1930年代ではない。
 石油をもっとも消費する車社会の支援に当たる橋、道路などに膨大な税を注ぎ込んだ1990年代の政策は、大変な時代錯誤であったとしか言いようがない。ハバードはそのような矛盾を1970年代から鋭く突いている。

  彼はまた、貨幣システムはいつまでも膨張可能であるが」、これは地球の限界のもたらす資源・エネルギーの減耗、質の劣化とは相容れないものだと警告したのである。
 1929年当時は、資源ベースとともに指数関数的に増大することができた。だが貨幣システムは崩壊した。
現代はまったく違うと生涯を通して訴え続けた。

P71-72
「石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実/石井吉徳/日刊工業新聞社」より





   ところで石油をはじめて計画的に掘削したのは、R・ドレイクという人物である。この、ドレイクが、石油を史上初めて燃料用に使えるものとして掘削に成功したそうである。1859年8月27日、ニューヨーク州の北とオハイオ州に挟まれた、ペンシルベニア州のエリー湖(五大湖のひとつ)のほとりの川でのこと。人類が石油をエネルギーとして使い始めたのは実に1859年からであった。インディアンたちは、自噴して地面に湧き出ている石油をそれ以前から暖房用に使っていたと推測されるが、それが後に人類の主要なエネルギーとなるとはだれも気づかなかった。
  この日本は幕末の動乱の最中、ここにジョン・デイビットソン・ロックフェラー1世が登場する。彼は1870年にこのクリーブランドで、後に悪名をはせる「スタンダード石油」をつくる。
  
    M.K.Hubbert(1903-1989)は地球物理学者で思想家であったが、彼の鋭い洞察は幾何級数的に資源消費をし続けるという人間の性向を深く見抜いていたと石井さんは述べる。そして原油価格は高止まらざるをえずそれに対して日本は何の手立てもせずに楽観論が幅を利かせており、国民にもこの事実が隠されていると主張される。地球物理学者のハバートの独創的な発想は、シェル石油の研究者としての現実的な思考から生まれたものであろう。そして、彼の地球物理学的な思考が在来の経済学、社会学とは本質的に異なる結論へと導いた。ハバートは資源論の立場で、経済学を鋭く考究したのである。ハバートは述べている「1929年の世界経済の大恐慌からは多くを学んだ」と。

石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実4

  遅かれ早かれ、石油の生産はピークに達する。石油は、石炭や天然ガスのような化石燃料同様、再生不可能だからだ。サウジアラビアの石油生産に遠からずたそがれがおとづれる危険性は高い。
  ここで別の書籍からもほんの少々ではあるがご紹介をさせていただく。

「Twilighi in the desert by Matthew R Simmons 邦題 投資銀行家が見たサウジ石油の真実」
/日経BP社¥2,800

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サウジアラビアの石油資源が公表されている確認埋蔵量や生産能力に達していないのではないかとわたしが考え始めたのは、2003年にサウジアラムコ社に招かれサウジアラビアを訪問したときだ。その後、200以上の技術論文も集中的に調べてみた。石油技術協会(SPE)が発行する、同国の油田に詳しい技術者や科学者によって執筆されたものである。この論文で取り上げられた問題がわたしの疑惑の裏づけとなり、本書に記した結論が導き出された。詳しくは本書を読み、私の結論が正しいかどうかを判断してほしい。本書で記した問題点を検証すれば、わたしとおなじように、サウジアラビアは、将来、石油の大量生産ができなくなるのではないかと言う懸念を持たざるを得なくなるのではないかと思う。

 サウジアラビア当局も、たびたび油田の老朽化を認めている。しかし、その直後に必ず、老朽化した油田からの生産減少分は発見済みの未稼働分の油田で補うことが出来るし、未開発の多くの地域で新油田の発見が期待されている、と付け加える。そしてすくなくともあと50年は、日量1500万バレルの生産を維持することが出来るというのである。残念なことに、当局はその主張を裏付けるような情報を一度も提供したことがない。しかも、サウジアラビアではすでにほとんどの地域で徹底的な探鉱がおこなわれてきたのだ。
 
---中略---

遅かれ早かれ、石油の生産はピークに達する。石油は、石炭や天然ガスのような化石燃料同様、再生不可能だからだ。石油専門家の多くが、石油のピークが遠い将来ではなく近いうちに起こると言う説を鼻で笑うのは、彼らがサウジアラビアの油田が無尽蔵だと信じ込んでいるからだ。本書は、世界一流の技術者が時間と能力を割いて取り組んでいる、油田に現実に起きている問題を検討することによって、そうした思い込みに疑問を投げかける。また、専門家だけでなく専門外の読者にも、石油が決してただの商品のひとつではないことをあきらかにしてくれるだろう。世界が湯水のように消費する石油を供給するのは複雑な事業であるにもかかわらず、サウジアラビアなど中東諸国の石油は発見するのも生産するのもコストがかからず、しかも無尽蔵にあると思われている。しかし、サウジアラビアの石油生産に遠からずたそがれがおとづれる危険性は高い。
P11~13 まえがき より

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要は、何十年も前から、油田が危険だという技術論文が石油会社、技術者からだされており、それに対してサウジ政府は「石油はありますから大丈夫です」と何の根拠も提示せずに言っているだけだ ということらしい。

内容的にも分厚く、石油の最新の採掘方法やその研究について詳細に書かれている。

 まとめれば、アラムコ時代に乱獲されたサウジのガワール油田をサウジアラムコになって何とか手入れをしながら最新技術で採掘しているが、政治的に利用されることが多く増産の限界にあり、また世界もサウジの油田は無尽蔵にあると錯覚している。
実際はガワール油田も半分の自噴で簡単に採掘できる部分はほぼ枯渇してきており、横堀やタールサンドから採取しなければならない。それは2005~2007年の間にピークが着ており、サウジ政府は正確な資料を出さない.
( 油田は常に増え続け埋蔵量は2050年まで確保されている ) ので、事実が分かるのは2,3年さきになるだろう。
またカスビ海油田は、世界の需要の伸びに対して、供給能力はたいしたことが無いといっています。興味のある方はご一読されてはいかがでしょうか。




    

石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実3

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  太平洋戦争が劣勢になっても、秀才参謀の君臨した大本営は、劣勢であることすら認めようとしなかった。むしろ重大すぎるので、心理的に拒否したのかも知れない。神風が吹くという文字通り神がかり的な超楽観論には、子供の私ですら「なんと大人は馬鹿なのか」と思ったほどだが、当時、それを口にするのはタブーだった。

 そのうえ、困ったことに専門家たちは、石油とは、地球資源とはの本質的なことも知らないようだ。つまり資源そのものの本質を理解せずに、例えば在来型の油田が減退しても、オイルサンド、オイルシェールなどがまだ膨大にあるなどという。このような人は地球資源は「質がすべて」であることを知らないようである。

p56

   エネルギーは一過性で一度使えばなくなる。しかし、銅などの元素資源は、使えば拡散、劣化するが元素は不滅である。

 このように文明の生血、石油なしには現代社会は存続できない。だが頼みの石油は最近余り発見されなくなった。もちろん油田は今でも発見・開発され続けているが、規模の小さいものばかりである。現在のところ全世界の年間消費量300億バーレルに対して5分の1程度しか発見されなくなった。このような見地から、エネルギーと文明の意味、関係を論じる必要がありそうだ。文明の原点の正しい理解のないところに正しい思索、戦略はありえないからである。

 文明史は、文明の形態はエネルギーとして何を、どう使ったかで決まると教える。人類の文明史は、古代から森をいかに収奪したかの歴史である。

 周辺の森、自国の森を使い切ったとき、近隣の森林をどう政治的に、あるいは戦闘力で獲得するかがその文明の衰退を決めた。特に中世は慢性的な森林不足のじだいであった。
 この木材、薪炭の時代は18世紀まで続いた。そしてヨーロッパはもちろんのこと、中国でも森林喪失は進んだ。

 最大の薪炭の利用者は製鉄の高炉用であった。
 p-62

石油は、石炭と非常に違った性質があった。常温で流体であるということである。
これが単なる燃料としてでなく、内燃機関用として大変適していた。そして1908年のT型フォード車に端を発する大量生産工業社会の幕が開いた。車社会は石油あってのもの。後で述べるが石油減耗の影響はまず運輸に来る。また石油は合成化学材料源としても貴重である。

 そしてあまりしられていないことだが、農薬、肥料、そして農業機械の燃料としての石油は現代産業を支えており、石油なしでは日本の食の安全保障は保たれない。このように石油は文明の生血である、これなしには現代文明は窒息する。

 2兆バーレルと言われる石油の可採埋蔵量、人類は今までにほぼ半分を使った。残りは半分だが、人間はとりやすいものから採っていく。そして条件の悪い、儲からないものを残す。後の半分は、今までとは違うことを認識すべきである。資源は質が非常に大切なのである。

 世界を支える中東の超巨大油田群は、ほとんど第二次世界大戦終了後の1945年以降に発見されたものだが、技術的には今とは較べられないもので発見された。

 資源は、技術だけの問題ではないことが理解されよう。石油が不足すれば市場原理が作動し、技術も進歩すると、エコノミスト、技術者たちは言うが、これは見当違いというべきである。国民は、彼らの根拠のない楽観論に惑わされてはならない。無意味な楽観論で安心すると、エネルギー、資源基盤のない日本は大変なことになる。
 P64-65

「石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実/石井吉徳/日刊工業新聞社」より

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  石井さんは太平洋戦争時のことを引き合いにしていますが、要は都合の悪いことは先送りにするという日本人官僚・政治家の体質があります。

 今話題の年金問題も2000年頃からわかっていたことですが、昔「自分たちは年金はもうもらえない」といったとき、現在60歳前後の世代は皆「そんな馬鹿な!!(笑)」といって、相手にされませんでしたが、実際いま大変な混乱です。だが当時の役人・政治家は「知らなかった、私には責任がない」言って有耶無耶にしようとしているのではないですか。
  
  同じことがエネルギー、安全保障、食料でも起こりうるかもしれません。過去の成長時代は残念ですが過ぎ去ってしまいました。
  今は戦国時代の入り口にいるのかもしれません、そうなれば泣きを見るのは庶民と相場は決まっています。昨今の肉親への猟奇的殺人、子殺しなどバブル時代を知る自分には考えられない事件が毎日を覆っており、世の中に対する漠然とした不安が高まってきています。




石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実2

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ブッシュ大統領は就任間も無い2001年5月、国家エネルギー政策(NEP=national energy policy)を出している。通称「チェイニーレポート」と呼ばれる。副大統領のチェイニーが中心になってまとめられたからである。NEPでは水素、燃料電池など個々の技術についても触れているが、その最後の第八章に、アメリカの力を背景とする世界石油戦略の記述がある。それを日本国内では、アメリカは水素エネルギーを取り上げているなどと、我田引水的読み方をする人が多いが、これは間違っている。
P2

資源をめぐる歴史をたどると、古代から民族あるいは国家は資源をめぐって争ってきた。半世紀前の太平洋戦争も、原因をたどれば、資源の争いが深く関係していたことが分かる。特に直接の戦争突入の一因に、アメリカの石油封鎖があったことは周知の事実である。
 その日本が今、アメリカに守ってもらえばよい、日米安保はそのためにあるなどと言うのだが、日本のためにアメリカは自国の若者の血を流すことはないし、アメリカ社会もそのようなことを容認することなどあり得ない。世界には、お金では解決できないことが沢山あるということを再認識すべきである。
P4

なぜそれほどまでに世界は石油に執着するのかである。石油が他の資源とは較べ物にならないほどすぐれた資源だからである。そしてその有限性が見えてきたからである。石油は正に文明を支える「生き血」であり、特に「常温で流体」であることは、他のエネルギー源にない大きな特徴がある。つまり現代文明の象徴である車にとって、内燃機関用燃料としてオイルは欠かせない。エネルギー密度も際立って高く、EPRは油田の初期は60以上であり、合成科学の原材料としても現代文明を支えている。
P11

 つまり現代工業文明の維持に石油は欠かせない、際立って多目的な資源である。これは石油なしの世界を想像すれば、暢気な日本人でもただちに理解できよう。
P12

19世紀は木から石炭へ転換した世紀であった。この転換は人類にとって大変に重要な意味をもつことになる。再生的資源から非再生的である化石燃料へと、人類がはじめて転換したからである。
 しかし、この石炭へのプロセスもスムーズに進んだわけではなかった。社会は新しいものを、簡単に受け入れるとは限らない。文明の慣性は大きいのである。
P14

まず森林から石炭だが、石炭とは何億年も前の光合成の蓄積、いわば光エネルギーの缶詰である。億年単位で地質年代の太陽エネルギーが集積された化石である。したがってその量は膨大である。このためほんの小さな炭鉱でも、相当の森林から得られる薪炭を大きく上回った。これが18世紀までの人類の慢性的な、木材、燃料不足を解消した。人類は石炭によって、初めてエネルギー不足という、くびきから開放されたのである。
P16

そして21世紀初頭、現代の社会で経済、社会は膨張の極に達し、人口もすでに65億となったが、人口もエネルギー消費もまだ増え続けている。この指数関数的増大志向は永久にはつづきはしない。しかしさすがに石油は成長がとまりだした。だが人間の数はまだ増えている。過去1世紀はバブルであった。これにいつ、どのような形で減速がかかるのか、今は未だ分からない。だが石油ピーク後の減退は、年率で二,三%といわれる。その時が来るのは何十年後ではない。その時世界は、
そして日本はどうなるのだろうか。
 日本は資源において脆弱な国であり国際力学にも弱い。外交も本当に下手である。仲間がいないし、また作ろうとしないからである。孤独な日本、国際的に徒党を組むずるさも、したたかさも無い日本だが、唯一の救いは高い技術力である。省エネルギー技術もぬきんでている。一人当たりのGDPでみると、日本はアメリカよりはるかに省エネルギーが進んでいる。
 だが日本の弱点はこの技術にある。逆説的だが技術をつかう総合的な戦略と理念に欠けるのである。ここで分かりやすい例を挙げる。ノコギリ、カンナは道具である。それを作る技術と、それらを使って家を作る大工の技術とはまったく違う。日本はこの大工の技術が一流でないのである。しかし、ノコギリとカンナを作る技術、部分の技術は世界最高である。そこで錯覚を起こすのである。日本の技術力を生かしてとなるが、それはあくまでも部分の技術でしかない。総合化できなければ使い物には
ならない。総合的な視点が最も重要となる。それがなければエネルギー、環境問題に対処できない。
 部分と全体は違う。「部分の正義」を集めても「全体の正義」とはならない。二一世紀はあるいは明日の社会は文明の一大改革を要求している。それは戦略的技術、戦略的な思考、理念で対応するしかない。リサイクル、クールビズなどは瑣末なことでしかない。このような部分をイクラ集めてもおおきなモノとはならない。
p21-22

「石油最終争奪戦世界を震撼させる「ピークオイル」の真実/石井吉徳/日刊工業新聞社」
 
 
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なかなか核心までたどり着けませんが、石油という常温で流体の物体を、自動車の動力源として使っている。そして、それはつい100年前のことであったが、その時から石油の生産量はどんどん伸びていき、それに伴って経済も拡大を続けてきた。しかし石油生産がピークとなり需要に供給が追いつかなくなるとマネーサプライの増加だけで経済の拡大はつづかなくなりいずれ大恐慌となるであろうということである。

そしてそれは今現在現実のものとなって来ている。

 内燃機関用エネルギーにガソリンが最適であり、安価で大量に提供されることが前提である。だがそれ以外にも例えばボディを作るのに、一旦1,500℃位で鉄を溶解し、流体化したものを型に流し、それを冷却している。1,500℃まで持っていくのに、物凄い熱量が必要であり、さらにその熱量を放出して冷却する。他にもエンジン、パーツなどすべて同じで、温度はアルミや銅のほうが低いが同じである。

  鋳造といいますが、要は重油やガス、で時間当たり何十万キロカロリーという炎であぶっている、あるいはコークスと一緒にし熱風で燃やすということを世界中でやっている。
  鉄鋼の高炉などになればはこの何百倍もの規模である。新日鉄の君津製作所では日量1万トンの生産を誇る(今となれば誇れない?)

 石井さんはそのことについて熱力学の第二法則(エントロピーの法則)に基づいて考え直すべきであると言っています。






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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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