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国家狂乱篇43

 おそらくは、もはや誰の目にも戦争は既定路線であることはおぼろげながらもみえていたはずである。庶民の間にもひろまっていたはずである。日露戦争後は「日米もし戦わば」などといった話が広まっていて来日していた米国人を驚かせた、むろんその、世界に対する無知に対してである。一等国である日本が何故、神国日本が・・己の悲惨な現状をそこへ投影させるしか道はなかったのではないか。
  やがて日本人特有の分かっていても何も言わないという和の精神が悪い方向へと作用していったのであり、時候のあいさつも「まあ、しかし日本は神国ですからなぁ」「そうですな」といったようにひたすら事実から目をそらしていったのであるまいか。そうであれば個人は嫌でも、共同体としてあるひとつの理想目標ー大東亜共栄圏へと進むしかなかった。例えるならば誰もがこの売り上げ目標が達成不可能と分かっていても、異を唱えられない、唱えれば即後ろ向きとして村八分にされるという、知性、科学のない日本企業によくある極度の精神主義に傾注するしか方法がない状態に国全体が陥っていたのである。悲惨であるとしかいいようがない。無論幹部らは別であり、彼らは美味しい昼食、晩餐をいただきながら己の私腹を肥やす目の前のことにしか興味はない、一部の者を除いては。
  




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  DNAや遺伝子が何かを動かすわけではない。脳外科医が脳の構造を解明すれば、手術には役立っても、そのようなもので、人間の知性は一歩も進歩しない。脳外科が発達すると共に、日本人のナショナリズムが、ますます戦時中とよく似てきた現実をみればよい。日本を誤った方向に動かしたのは、明治維新以来の軍事支配思想である。傲慢不遜な利権に目がくらんだ長州軍閥・薩摩軍閥は、きわめて婚姻関係の強いかたまりであるから、山口県と鹿児島県のなかで、全県を代表するものではなく、権力を握ったひと握りの集団であった。その人間たちにかしづき、抗うことも知らずに動かされた国民全体の意識が問題である。
 日本の寓話として美麗に創作された『古事記』『日本書紀』の神話は、興味深い内容である。だがそれを権力にために悪用し、天皇は神であるという思想をふりまいた、狂信的な維新の志士と国学者たちの思想の浅さは、驚くほど狭量であった。もともと仏教を国教としたのが天皇家で、奈良の大仏を建立したのが聖武天皇であることも知らないのか、神道のほかには目もくれず、天皇神権の信仰に取り憑かれた若き軍人たちが、次々と暗殺とテロとクーデターに走って、日本の方向を大きく切り換えた。二・二六事件で処刑され、有罪判決を受けた軍人たちが書き残したものには、哀しくも、その古代天皇由来の南北朝伝説に対する真剣な情が縷々記されている。
  戦後になって、皇国青年軍人だった者たちが、その南北朝伝説の系譜がまるで事実と正反対であることを知って衝撃を受け、敗戦にうろたえながら、戦友たちがそのあらぬ妄想のために特攻隊で自殺しなければならなかったことを、どれだけ痛く悔いたかは述べるまでもない。霊魂を信じない人間でも、先に世を去った人の霊や魂を、ふと感じることはある。不信仰な人間でも、路傍のお地蔵様には礼を持って接するものだ。しかしそれと、妄想を信じる事は別である。妄想はイワシの頭と同じ『古事記』と『日本書紀』を考古学的な事実だと信じ、主張するのも勝手だが、己の妄想を法によって事実と決めつけ、他人に強要する新興宗教が、国家の国法としてまかり通れば国は破滅する。妄想のために死ねと、国家の手で皇国史観が若者の頭にたたきこまれ、日本の経済がひっくりかえされたことは、特筆すべき重大深刻な事実である。この軍人たちの一生をそこに導いた人間たちは、多くを問われるべきである。
  暗殺者たちにやすやすと暗殺の口実を与え、軍人を野放しにして植民地支配の支配力を与えた財閥・華族、大蔵大臣・日銀総裁・大銀行・大企業・官僚の幹部たちの考えの未熟さと、世界を見る目の曇りは、当時、日本の植民地進出を煽り続け、軍国主義を礼賛した新聞界ぐるみの無知と共に、責任を問われるのに充分であろう。なぜなら、右のように、すでに日本全体に筆舌につくしがたい貧困が蔓延し、植民地では、土地と生活・商売を奪われて追いつめられた人びとによって、数限りない反日・抗日運動が激化していたからである。それに気づいた人間が誰一人いなかったなら「私は知らなかった」と釈明もできよう。だが史実は、そうではない。数々の報告が山のように出され、その事実を伝えていた。気づいた者のなかには、河上肇がいた。吉野作造がいた。星野芳樹がいた。大河内信威がいた。星野芳樹は共産主義の欠陥にも気づいていた。いま記したのはごく一部の先覚者であり、見識ある者が大量に政治犯として投獄されていた。


「持丸長者国家狂乱篇」P375-377


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

国家狂乱篇42

 血盟団事件の後5.15事件、そして2.26事件がおこる。これはみなさん嫌でも暗記させられた部分であろうと思う。さて彼らは2.26のクーデター事件が成功していたらどういった展開を考えていたのか。この時点で大元帥は裕仁昭和天皇である。彼は4人兄弟であった。あとの3人は皆陸軍士官学校を出ている。つまり陸軍の青年将校らとは同期もしくは非常に近い存在にあった。このあたりから見えてくるものがあろうかと思う。想像を巡らせていただきたい。ちなみに事件のとき第一方面隊は秩父宮師団長であり、昭和天皇にすぐ戻る旨のお伺いをしたところその場にて待機せよとの命令を受け上京は出来なかったそうである。





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団琢磨が殺され、テロにおののいた三井・住友・三菱・安田は、社会に対して何か手を打たなければ危ない事に気づいた。明治時代には、軍閥を生み出す維新の志士と手を組んで資金係となった彼ら財閥だが、不思議な事に、その系譜は商人と実業家の長者ばかりで、軍人がほとんどいなかった。三井家の系図には、古い維新政府の海軍大将をつとめた薩摩の川村純義の孫娘が三井生雄と結婚しているだけで、大正以降の大日本帝国の軍人は一人もいなかった。岩崎家、住友家、安田家にも軍人が一人も見当たらず、古川家が結婚した西郷一族も日清・日露戦争までの軍部主導者である。この時代には、西郷家がみな実業家になっていた。つまり財閥側は、軍隊を育てても、自分たちが金儲けにうつつを抜かしていたあいだ、血気にはやる青年将校たちに首輪をつけていなかったことに気づいたのである。

-中略-


ドル買い事件で矢面に立たされ、さんざんにたたかれた三井は、殺された大番頭の団琢磨が、ただ優秀な技術者という人物ではなかった。私生活において「入ったものはすべて自分の懐に入れる人間」と評されていたのである。団のあとを継いだ池田成彬は、すぐさま改革に着手した。しかし、財団法人・三井恩賞会が設置され、ここを通じて社会事業に巨額の寄付をおこなうように態度を豹変、手遅れにも、武藤山治が息を引き取ってから17日後であった。アメリカでロックフェラーが独占を批判されたとき、突然に全米一の慈善家となって社会を沈黙させた効果に学ぼうとした池田である。三井元之助、三井源右衛門、三井守之助、たち三井家の一族がいっせいに第一線の要職から退き、三井財閥が保有する株式を公開して、社会の公僕たる三井を売り込んだ。しかし世間はそれほど甘くなかった。三井報恩会がぽんと三〇〇〇万円を寄付したとは、それだけの搾取をしていたわけだ、と誰もがますます財閥に対する疑念を深めた。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\持丸長者国家狂乱篇」P333-334



 

国家狂乱篇41

  昭和の前半、日本にテロリストがいた。この平和ボケと呼ばれる時代の対極である。かれらの大義名分は一人一殺を掲げ「貧困を招いた責任者に天誅を加える」というものであった。満州帰りの怪僧 井上日召の「血盟団」である。団琢磨の暗殺は有名であるが、その背景はどうなっていたのか。

  すでに、財閥の独占と、その財閥のいいなりであった腐敗政治に対し、民衆のあいだには諦めと憎悪があった。質素な生活、貧困に苦しむ生活、娘を売りに出さねばならないという現状、一等国であるはずの我が国人民がなぜこのような仕打ちを受けねばならないのか。  すでに幼年学校→陸軍士官学校出の若手将校、農村出身の在郷軍人は不満の蓄積が爆発寸前まできていた。そういった彼らの拠り所となるのは、いつの時代でもそうであるが宗教的存在、理想社会である。

  そしてその社会を目指そうとした怪将校がドイツ留学を終え、満州の地に降り立った石原莞爾である。井上日召と石原の間には共通の宗教があった。そしてそれは銀河鉄道の夜を書いた宮沢賢治にも通じていたと思われる。

 以下の文献からの抜粋を興味ある方はご一読されたい。

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   たとえば、満州事変を起こし満州国建国の道を開いた軍人石原莞爾。『日本改造法案大綱』を著し「二・二六事件」の理論的支柱となった北一輝。「一人一殺」をスローガンに血盟団を結成し、政治家井上準之助、経済人団琢磨を暗殺させた井上日召。これらすべてが、そしてこの他にも多くの有名・無名のファシストたちが熱烈な「日蓮主義者」であった。
 ただし、北一輝については「日蓮主義者」というよりは「法華主義者」と言った方が正確かもしれない。

  北一輝は膨大な法華経をすべて暗記していた。そして常々「日蓮は友人だ」と言っていたという。だから日蓮を崇拝していたのではない。むしろ自分こそ日蓮以上の「法華経の行者」だと思っていたのである。
 
   そして、この延長線上にあるのが、『銀河鉄道の夜』で有名な宮沢賢治である。

   賢治は「宇宙全体が幸福にならない限り個人の幸福はあり得ない」といった。

   これが法華経に基づく考え方である事は、これまでこの編を読んできた人には容易に理解されるだろう。
  「一天四皆帰妙法」である。この世のすべての人々が法華経に帰依した時、この世はそのまま常寂光土(仏国土)になる、という考えからきている事は明らかだ。
 賢治はその死に際して父に、法華経を千部印刷し、自分の生涯はこの経を届けるためにあった」、と書いた手紙を添えて友人たちに配布してくれ」と遺言している。
 また、その「遺作」となった有名な雨ニモ負ケズ」の詩が書き付けられた手帳には、続けて日蓮宗独特の曼荼羅が書写されていた。

  まさに法華経の行者である。

  ただ、賢治は摂受はしても折伏には積極的でなかった。この点、同じ「法華主義者」といっても日蓮と大きく違う。
 それとは対照的に、「一天四海皆帰妙法」を軍事力による「折伏」で行おうとしたのが、石原莞爾であり北一輝であった。
 寺内大吉氏が、そもそも『化城の日本史』を書こうとしたきっかけは、満州国建国のために日本の軍人と満州人が集まって建国会議を開いたときの写真を見たことだ。
 その写真には、日本の国旗も清朝の国旗も無いのに、ただ一つ「南無妙法蓮華経」と書かれた例の「ヒゲ文字」の旗が掲げられていた。それを不審に思ったのが、そもそものきっかけだという。

 そのうち寺内氏は、この満州国建国会議が開かれた昭和七年二月十六日という日付の持つ、重大な意味に気がつく。二月十六日は日蓮の誕生日と伝えられる日なのである。

 石原は日本の軍人のなかでもスケールの大きな人物で、昭和前期から「世界最終戦争」という構想を持っていた。これは東洋の覇者日本と西洋の覇者が最終戦争を戦い、その結果日本が勝つ事によって「一天四海皆帰妙法」が実現し、恒久的な平和が訪れると言うものである。そういう観点からすれば、満州国建国はその記念すべき「大折伏」の第一歩であったことになる。だからこそ、その第一歩が日蓮の誕生日になるよう調整したのだろう。


  もちろん、これも誤解の無いように付け加えておくが、日蓮信仰=ファシズムではないし、天皇絶対主義でもない。日蓮自身は法華経絶対を唱え、皇室の祖アマテラスすら法華経の下に属するものとしてとらえていた。

  しかし、天皇絶対主義と日蓮の法華思想を、巧みに結びつけた人物がいた。

  その代表的な「思想家」が田中智学である。

  智学は、日本は法華に基づいて世界を統一すべき使命を持った特別な国である、と規定する。そして、日蓮こそ、その世界統一軍の「大元帥」であり、日本人はその「天兵」である、という日蓮の真意とは大きくかけ離れた理論を考えだした。この考え方を発展させれば、世界侵略すら一つの「折伏」として肯定されることになる。北一輝も石原莞爾もこの影響下にある、とも言える。

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出典/「逆説の日本史6中世神風編 」井沢元彦著


 

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国家狂乱篇40

1931年のドル買い事件、この事件は満州事変と平行していた。



○1929.10.24 アメリカウォール街でダウ暴落
○1930.1.11 浜口内閣の蔵相井上準之助が金解禁。金本位制復帰。
○1930.11.14 浜口首相東京駅で狙撃され重傷
○1931.4.14 若槻礼次郎内閣発足
○1931.9.18 柳条湖爆破事件、いわゆる満州事変起こる
○1931.9.20 イギリスが金本位制停止
 この前後から財閥によって金輸出の再禁止を見越して財閥による大量のドル買いが起こる
○1931.12.11若槻礼次郎内閣総辞職
○1931.12.13犬養毅内閣発足、即日蔵相高橋是清金本位停止、ドル高が急速に進む。
○1931.12.14円暴落


浜口•井上・犬養・高橋の四人は殺人テロで暗殺されることになる。このひとたちは
どういう人物であったか。

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   連続テロの標的とされたのは、どのような人物だったのか。人を圧倒する風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた浜口雄幸は、一九三〇年にロンドン海軍軍縮条約を持ち込み、軍部と右翼、軍需産業から怒りを買ったのだから、この軍国思想一辺倒の時代に、数少ない正常な政治家であった。
 だが一方では、横浜正金銀行頭取•水町袈裟六と子供同士が結婚し合っていた。しかもその子供たちの義兄弟は、最後の満鉄総裁をつとめる山崎元幹、その岳父は児玉源太郎と共に満州経営委員会で、朝鮮総督府の度支部長官(のちの財務長官)として植民地財務を支配した荒井賢太郎であった。さらに浜口首相の息子は、妻が日本石油社長•水田政吉を通じて、越後の巨頭•大橋新太郎(系図4)の近親者で、団琢磨とも縁戚にあたり、申し分ない利権一族だった。

  浜口首相が右腕として信頼した蔵相•井上準之助は、大分県日田で造り酒屋を営む庄屋の家柄に生まれ、長州藩一族で日本鉄道会社社長•毛利重輔男爵の娘•毛利チヨを妻にしていた。長州の金融牙城である山口県第百十国立銀行を設立して頭取に君臨した毛利治近信や、福沢諭吉、甲州財閥•若尾逸平一族を閨閥にかかえて、朝鮮の植民地化を主導した鶴原定吉らの長者ファミリーに入ったのだ。
  井上は、浜口首相の一族•水町袈裟六頭取の後を継いで横浜正金銀行頭取に就任すると、中国の鉄鉱•石炭利権を満鉄と八幡製鉄所に送りこむ功をあげ、さらに三井の団琢磨、池田成彬、藤山雷太、日本工業倶楽部の大橋新太郎、三菱の串田万蔵らと共に日本経済連盟(前後の経団連の前進)を結成するなど、財界から大きな信任を得ていた。井上が金解禁を実施したとき共に行動」した日銀総裁•土方久徴は、妻が三井の大番頭•三野村利左衛門の孫娘であった。この浜口•井上が暗殺され、続いて団琢磨が暗殺されたのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「持丸長者国家狂乱篇」P327-328

 次回は別の文献より、暗殺者の思想背景と石原莞爾、宮沢賢治の関係について迫ってみたい。





  

国家狂乱篇39

 現在と昭和2年当時で最大の違いは通貨制度にある。この時代世界でとられていた制度は金本位制である。

 横浜正金銀行(戦後の東京銀行)は金本位制の下で日本の国際金融のために出来た銀行であり、そう言った理由で戦後三菱銀行と合併するまで国際業務しか行わなかった。

 この金本位制は、各国通貨の金との交換レートを定め、発行通貨はいつでも金と交換できるというもので兌換紙幣ともよばれているが、中央銀行は発行した通貨の量だけ市中より金を集め保有しなければならない。

 貿易では支払いは共通通貨とも言える金で決済された。貿易赤字になれば金が国外に流出することになる。しかし、金本位制度は平和な時代の金融制度と言える。なぜならば戦争がおこれば大量の物資需要が発生するため通貨供給量を大幅に増大する必要性が発生するがそのための見合いの金は地球上に一定の量しか存在しない。ゆえに、第一次世界大戦中には金輸出を各国が停止していた。そして戦争が終われば金輸出再会となるのであった。

 しかし実際には市場間取引を通じて、理論とはかけ離れたところで、金はロンドンのシティ黄金の間いおいて、アメリカとヨーロッパを支配するロスチャイルド家によって支配されていたのである。

 その金輸出が1929年ウォール街で大暴落がおこり世界大恐慌が広がっていった事で1931年12月13日に成立した犬養毅内閣蔵相・高橋是清によてえ金輸出の禁止を決定した。金輸出の禁止で円安になるとわかっていた財閥側は予めドル買いに動いていた。巨額の富を短期間に得た事で、これが三井のドル買い事件として非難される事となる。

 この1931年に満州で柳条湖爆破事件=「満州事変」が石原莞爾•板垣征四郎らの陰謀により起こされた。


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   現在の日本は年間3万人、毎日100人近くが自ら命を絶つおそろしい国家だが、総人口に対する比率では、当時が、その最近の数字とほぼ同じ水準であった。弁当無しで学校へ行かなければならず、ひもじい腹を抱えてほかの生徒の弁当を見つめた子供たちほど、かわいそうなものはなかった。この子供たちは欠食児童と呼ばれた(一九三二年二〇万人)。この農漁村が、下士官や下級兵士の最大の供給源だったのだ。職業軍人のように高級将校になれない彼らは、兵役後も郷里に戻って軍人の資格を持ち、在郷軍人と呼ばれた。
   それにたいした、五大銀行の経営者は、政府•日銀•植民地特殊銀行と共に、ひとつの閨閥であった。こうして彼らは財界の天皇•総理大臣•太政大臣•将軍•大統領を合わせたような力となって独占に成功していた。
   ところが昭和二年恐慌のあと昭和五年(1930年)から、かれらの予期せぬ出来事が立て続けに起こった。軍人と右翼によるファシズム台頭、連続テロによる暗殺である。一九三〇年十一月十四日に浜口雄幸首相が東京駅で狙撃され、三井財閥の大番頭•団琢磨が暗殺され、五•十五事件で犬養毅首相が暗殺され、一九三四年に元鐘淵紡績社長の武藤山治が暗殺され、一九三六年の二・二六事件で岡田啓介首相は辛くも難を免れたが、大蔵大臣•高橋是清、内大臣•斎藤実、教育総監•渡辺錠太郎が暗殺されたのである。
    浜口首相が暗殺されると、若槻内閣が引き継いだ。しかし浜口内閣も、次の若槻内閣も、国内の惨状をみれば明らかに政商のための施策しか講じていないと国民がやり場のない憤りを覚えたのは、社会の暗澹たる様をみれば至極当然の感情であった。たとえ経済学が資本主義の道理を説明しても、正論ば口先ばかりで、財閥たちが政治家と官僚をあやつり、この大不況のなかでも法外な資産を抱えて生きている事は、誰の目にもはっきり見えた。大半の政策に口を挟んで、金輸出の解禁を井上準之助に行わせたのは、三井銀行の池田成彬であり、三菱銀行の串田万蔵であり、住友銀行の八代則彦との噂が絶えず、その裏ではドル買いに走ったのが彼らだったからである。

********************************************持丸長者国家狂乱篇」P324-325





  
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昭和が終わって二十年、そろそろあの六十数年を最初から最後まで総括し新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。

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